慶応大学の近藤誠医師の書いた「医者に殺されない47の心得」を読むと、以前から私が主張していて、「今では、これぐらいは常識だろう」、と思っていることで、決して、そうではないことを、嫌と言うほど、思い知らされることも、多い。
つまり、「まだ、こんなこともわかっていないのか、みんな、バカだなあ!」と思うことが、しばしばある、ということである。
近藤誠医師は、「風邪薬も抗がん剤も、病気を治せない」と次のように言っている。
「医者は本当にあなたの病気を防いだり、治してくれているでしょうか。医師の僕が言うのもなんですが、答えはノーです。
風邪、頭痛、高血圧、高コレステロール血症(高脂血症)、不整脈、がん……。
病気の9割は、医者にかかったからといって治るわけでも、回復が早くなるわけでもありません。
そして、(薬の)副作用や後遺症のリスクはとても大きい。
たとえば、風邪のウイルスに作用して治せる風邪薬は、まだ発見されていません。
熱を下げる解熱剤やセキ止めなど、不快な症状を一時的に抑える「対症療法薬」も体はつかの間ラクになっても、回復は遅れます。発熱やセキなどの症状はすべて、体がウイルスを追い出そうと闘っているサイン。薬は体の治癒力を邪魔します。
インフルエンザをワクチンで防げるとか、リレンザなどの治療薬で治せるという医学的な根拠はなく、せいぜい「効果が期待されている」レベルです。
一方、風邪薬やインフルエンザワクチンの副作用で亡くなる人は、大勢います。」
こんなことは、今更、近藤医師に言われるまでもなく、50~60年も前に、天風先生は、こう言っています。
次は、宇野千代さんという女の作家が書いた「天風先生座談」(天風先生の講演録のようなもの)という本の中の引用です。
ご存じのように、天風先生も、アメリカのコロンビヤ大学の医学部を首席で卒業した医者なのですが、多くの医師がいる前で次のようなことを言っています。
「いえ、もっと身近な例を言えば、これほど進歩した医学を持っている人類に対して、進歩しているのはある一部分だけで、進歩しない方面は、昔も今もちっとも変わらない。
たとえば神経痛ひとつ、今の医者は治せないでしょう。喘息ひとつ治せないじゃありませんか。はなはだこれ、医学をけなしているようですが、私も医学を研究した人間ですから、率直に、医学の欠点に対して言っているわけです。
お集りのお医者の中で、俺は喘息治せる、という人があったら、手を上げてください。俺は神経痛たちどころに治せる、という人があったら、手を上げてください。遠慮なく手を上げてください。私はそういう人を探しているのです。風邪ひとつ、満足に治せる医者はいないじゃないですか。いや、この間、医者のかかったら治った。それはひとりでになおっちゃったんですよ。治らない風邪だったら、どんな医者にかかったって治りゃしない。(薬を飲んだから治ったのではなくて、たまたま、その時、自然治癒力によって、治る時期が来ていたから治った、という意味。)」
天風先生が亡くなられたのが、1968年12月1日、この講演が行われたのは、おそらく、亡くなられる前、4~5年のことだろう。
ということは、天風先生が亡くなれてからでさえ、45年は経つのだから、少なくても、こういうことを、天風先生は50年くらい以前には、言っていたということになる。
今でも、「神経痛や喘息をたちどころに治せる人手を上げなさい」と言われて、世界中のお医者さんを探しも、だれ一人手を上げる人はいないだろう。
自慢じゃないが、私は、
簡単な、神経痛や喘息、それに、風邪位なら、ものの、10分あれば治すことができる。
そして、この程度の病気なら、何も私が直接手を出す必要もない。電話による遠隔治療でも簡単に治る。
それでは、なぜ、私が、簡単に治せるのに、お医者が、治せないのか?
それは、近藤先生自身も含めて、現代医学は、全く、と言っていいほど、その原因がわかっていないからなんです。
つまり、原因がわからないから、治せないんだよ。
現代医学が、病気を治せない原因について、天風先生は、「天風先生座談」の中で、次のように言っている。
「人間の生命を(病気)を解決するには、肉体だけでは駄目だ。(医者は、人間の命は、肉体だけだと思っているから病気を治せないのだ)
心と肉体が打って一丸となったものが生命である以上、その見地に立って、われわれの生命の生き方と生かし方を研究しなければ駄目だ。というのが私の心身統一法を組み立てる思想の根本をなしているのです。」
なぜ、天風先生は、ここで「生命の生き方」と「生かし方」を研究しなければ、駄目だと、言うかというと、次のように言っていることから、その真意が、汲み取れます。
「生きているというこの現実の、生命のコンディションの中に、生かされている部面と、生きなければならない部面との二つがあることに気がついていますか。わかりやすい言葉で言えば生存と生活というものが打って一丸とされない限り、生命存在の現実を確保することは出来ないのです。」
「生活に対する方法ばかり考えて、どうすれば達者で生きられるだろう。食い物かしら、薬かしら。あるいは空気の良いところかしらと、つまり、肉体本位の、生活することばかりを、健康獲得への唯一の手段だと考えていたとは、なんと長年の間、無駄な努力を繰り返して来たことでしょう。肝心かなめの、生かされている方面に関しては、生かされているんだから、何も、改めて研究する必要はないと思っていた。」
多分、上の、この部分は、いくら読んでも、殆どの人は、理解できないのじゃないでしょうか。(「気」がわからないからわからない)
特に、「人間の命に生かされている部分がある」、つまり、生存、ということには、殆どの人が、理解不可能だろうと、思う。
天風先生が「人間の命は、生かされてる」、つまり、天風先生が「生存」と言っているのは、簡単に言えば、私たちは、「気」によって生かされているから、生きているという意味なのです。(望むと望まざるとにかかわらず、私たちは、「気」によって、生かされて、生きている)
「生活」と言っているのは、簡単に考えれば、これを、「肉体」と言い換えてもいいのですが、
「肉体」というのは、「気」によって生かされているから、肉体が生きている、という意味なんです。
貴方達も、医者も、みんな、「肉体」は、「気」によって生かされているから生きている、ということが、わからないから、
つまり、どうして肉体が生きているか、その原因がわからないから、肉体が病気になった時、どうしていいかわからないのだよ。
言い換えるなら、生かされているもの(結果)だけを考えて、それを生かしているもの(原因)が何かわからないから、病気を治せない、ということになる。
原因がわからなくて、結果が、出せるわけないじゃないか。
いいですか、どんなに偉そうな顔をしていたって、偉そうなのは顔だけで、
本当は、近藤先生も含めて、お医者さんというのは、どのお医者さんも、病気の、本当の原因はわかっていないのですよ。
普通の医者は、わかっているような、顔だけ偉そうにして誤魔化して、近藤先生は、私は、わからない、と正直に言っているだけなんだよ。
先に、天風先生が、「人間の命を解決するには、肉体だけでは駄目だ、心と肉体が打って一丸となったものが生命である以上、その見地に立って、われわれの生命の生き方と生かし方を研究しなければ駄目だ」と言っているのは、
私たちが生きていられる根本的原因である「気」というものは、心のあり方(持ち方)によって、命の中に入って来る分量が違ってくる、からそう言っているのです。
「気」が命の中に入って来る分量が多ければ、肉体は健康になり、その分量が少ないから、病気になる、という道理なのです。
「気」は、神経系統を流れて、私たちの命を保ってくれています。
そして、神経系統を流れる分量が少ない所に、病気が発生します。
流れる「気」の分量が、足りなくなった部分の神経は、炎症を起こして固くなります。
私のサイ気療は、炎症を起こして固くなった神経を探り当て、そこに「気」を注入することによって、炎症を止め、固くなった神経を柔らかくして、病気を治しているのです。
現代医学が治せない病気のことを、難病と言います。
私の知る限り、全て、と言っていいほど、難病の治療には、ステロイドという薬が用いられています。
ステロイドと言う薬は、神経の炎症を抑える薬です。(炎症を、一時的に抑えているだけ)
そうことから考えても、現在、難病と言われている病気は、神経が炎症を起こす、つまり、「気」の流れが悪くなる、ことが原因でなっている、ということがわかります。
風邪だって、気管支の神経が炎症を起こしてなる、病気である。
神経の炎症は、神経を流れる「気」が不足することによって起きる。
不足して起きる現象は、不足しているものを補ってやることのよってしか、治すことはできない。
これが、お医者さんが治すことができない風邪を、私が、サイ気療で、簡単に治せる、根本的原因である。